中学3年の頃、貧弱で坊主頭の野球少年だったシューベルは、THE BLUEHEARTSやBOΦWYに出会い感動しギターを手にロックバンドを組む。
弟に野球でレギュラーの座をいつも奪われ、コンプレックスの塊であったシューベルは、ギターを手にしスポッライトを浴びる喜びや楽しさを知る。
これはいい!と思う。
中学3年の頃、貧弱で坊主頭の野球少年だったシューベルは、THE BLUEHEARTSやBOΦWYに出会い感動しギターを手にロックバンドを組む。
弟に野球でレギュラーの座をいつも奪われ、コンプレックスの塊であったシューベルは、ギターを手にしスポッライトを浴びる喜びや楽しさを知る。
これはいい!と思う。
20代前半、音楽でプロになるため地元兵庫より単身上京、以降様々なバンドを組んでは解散し続ける。
30代になり所属バンドにてようやく全国流通版CDをリリース。メジャー世界の厳しさ、バンドで飯を食う難しさを知る。
30代半ば約20年間続けた
バンドマンから離脱。
のめり込む事の無くなった
何者でも無いシューベルは、
生きた心地がしない日々を過ごす。
そんな中、
職場近くのとあるスパイスカリーに出会い
スパイスの魅力を知る。
そして都内で有名なカリー屋を
食べ歩く日々が始まる。
世の中には美味いカリー屋が
たくさんあることを知る。
しかし、最初に出会ったカリー屋が
現在でも一番美味かった。
その店の味は出せない。
音楽も最初はコピーだった。
でもいつしか、
オリジナルをやるようになった。
自分にしか作れない
オリジナルカリーを作ろうと思った。
色んなスパイスを買い集め試してみた。
スパイスは
ギターの音色を変えるエフェクターのように感じた。
とても面白いとカリー作りにのめり込む日々。
そしてカリー屋になろうと決意し、
これまで長年続けていた職場を辞め、
初めて営業職に転職。
思いの外成績があがり、
2年半で目標の予算を貯め退職。
2012年3月
西永福のいきつけの焼き鳥屋に
バイトしたい、とお願いしに行ったら
見事に断わられる。
しかし、昼間空いてるのでランチカリーをやれば?と提案される。
そして焼き鳥屋で使用していた大山鶏を武器に、間借り営業にて「たまりばランチカリー」をスタート。
飲食未経験でスタートしたため
色んなことがわかっていなかった。
それは現在もだが。
お客様に色んな意見やダメ出しを頂きながら
一つずつ改善するLIVEな日々。
2012年6月
その焼き鳥屋の2Fにある喫茶すかんぽでも
夜の部を借りて
「すかんぽカリーBAR」もスタート。
B1F(たまりば)と2F(すかんぽ)を行き来しての営業を行う。
2014年3月
2年間の西永福での間借り営業を終え、
西荻窪にて念願のCURRY BAR シューベルを
独立オープン。
なんとなく
家賃が安かったので決めたこの店舗。
西荻窪がどんな町かも知らなかったが、
住んで一週間で自分の理想に近い町と知ることになる。
音楽やアートや町のイベントも盛んで
個人商店の力が強い町。
空気感も人々もいい感じで
ゆるく最高だった。
住んでる方々も皆、西荻窪が大好きだ。
西荻窪で1年ちょっと経った今、
本当にこの町で営業出来たことはラッキーだと思っています。
運命を感じるこの土地で
住民の皆様にとって、
また電車に乗り来てくれる皆様にとって
無くてはならない
お店となっていきたい。
LIVEのような日々はこれからも続く。
最高に楽しい日々だ。
店主・シューベル